ロロ通 vol.22 -今日とかいう最も新しい日号-

今日コノゴロ 

 昨日は東日本大震災から10年だったって事で10年前を思い返してみると今がどれだけ変わったか分かるじゃないですか。

 忘れかけてたあの頃の感触が結構リアルに思い出されるにつれ、本当に今っていいなと思うわけです。

 すごく不器用に生きてたと思うのですよね、私自身もそうだけど何か世界全体が薄汚れているように今から見ると思える。

 いやだな、めんどうだな、なんでこれってこんな風なんだろう、なんでそれに慣れて生きていかなければならないんだろう、って我慢が前提として成り立ってる文化、習慣、人間関係とかにコンプレックスとか欲望というか渇望、不毛なあれこれがこんがらがっていた様に思えます。


 私が幼かったとか至らなかったのかもしれないけど、今じゃ考えられないひどいものもたくさんあった気がする。

 インターネットは少なくとも色んな情報を与えたし、そこから学ぶことができてそういう薄汚れたものが結構消え去ったし私たちも上手く処理できるようになったと思う。


 かように2011年なんてちょっとこないだ、くらいに思ってたけど完全に遠い世界になった。

 今こうやって新しい世界に存在できてほんとうに嬉しいと思います。

 しかも明日は更に新しいっていうんだから、未来へ行けるってめっちゃ良い事やんってつくづく思います。いつか死ぬけど..


 って柄にもない事思いながらロロ通22、いってみたいと思います。


・緊急寄稿!! プチ・ドロップアウトのすすめ ~人から見たらどーでもいい事をする~

・みんなでめちゃめちゃ相談に乗ってみる・・・2つの相談に12人で乗る

・詩のコーナー・・・「オレンジピールの雨」 / うさき

・連続短編小説「昭一郎の不条理な日々」・・・第二話「続・レンタル彼女」

・おすすめYouTube・・・ジョルジュ.Sの短編アニメーション「フランケンシュタインの恍惚(1982)」

・ことば紀行・・・「クレメンティア(寛容)」

・アンケートコ~ナ~・・・「2011年と2021年どっち好き?」(回答数23)

・編集後記


*SPECIAL THANKS to 花山 理香さん・・・ロロ通ロゴや挿絵を描いていただきありがとうございます!*



緊急寄稿!! プチ・ドロップアウトのすすめ ~人から見たらどーでもいい事をする~


 たき火をぼーっと見つめたいけど、「準備して行ってやって片づけて帰ってくる」のは色々手間がかかって大変なのでやらずに、楽な代替案で気持ちを誤魔化す。

 これって今日(こんにち)における何か良くない事だと思うのですよね。


 具体的には「一日外出録ハンチョウ」第86話 燻者で「キャンプに興味持ってグッズ見に行ったりするけど結局行かない」って話を読んで想起したわけですが。

 勿論ハンチョウはそういうギャグマンガなのでそれにどうこう言うつもりはなくて、私自身リアルな問題として、です。


「昼から上野の立ち飲み屋で飲みたい気持ち」

ってのもたまに無性に焦がれる時があって、そんな大した飲食物が出るわけじゃないんですが、あの雰囲気じゃないと味わえないものってのは確実にあるわけですが、時間作って出向いてやらなきゃいけないわけでもあって。 


 それと同じくらいの楽しさってのは例えばお気に入りのYouTuberの動画で面白い回が3つくらいアップされてる時、それを見た時も結構楽しい満たされた気分になったりする。

 そういう「楽しさレベルは同じくらいの、ジェネリック的なもの」ってあるじゃないですか。

 そっちの方が手間もお金も時間も安上がりなのでついそっちを摂取してかりそめの満足をお手軽に得て済ませてしまうっていう。


 しかしながら本当の意味で欲求は解消されていなくて、実際は心の奥では納得いってなくてスッキリせず、その澱というかカスみたいのが心に溜まっている、と。

 イメージで言うと、毎日シャワーですませちゃってるけど、たまに湯舟にゆっくり浸かるとやっぱお風呂はいいよな~ってなるんだけど、でもやっぱりシャワーですませちゃってるみたいな。

 SNSでやたら荒れてバトったり病んでいる人みると、そういう澱みたいのがその攻撃性とか自虐性に繋がってるんじゃないかなとか思うのです。



 心理学的にどうのとか言うつもりはなくて、あくまで私自身の日々の中でそういう風に感じたまでなのですが、仮にそうだとしたらじゃあどうすればよいのか?ってのがタイトルにある「プチ・ドロップアウト」でして。

 ジェネリックなものを止めて、めんどくさいけど本来やってみたい事をやる。

 それっぽい南国の歩いてる動画を見るのじゃなくて、実際に調べて電車乗るなりして近場の海岸に行ってみる。

 無印でなんか良い感じの少しでも日常が良くなるものないかな、とかやってないで、近場の山にハイキングに行ってみる。


 人からしたら「なんでわざわざそんなつまんない、別にたいしたことない事すんの?」って事をわざわざやる。


 コスパを度外視して、意識高いかどうかも置いておく。

 最近の世間一般から見た「普通こうするでしょ」という道から外れる。

 これってちょっとしたドロップアウトなわけで、極端な言い方をすれば世捨て人、アウトロ―。

 でも人生まるごとそんな風にするんじゃなくて一部だけ時たま脇道に逸れる。道草を食う。



 ここのとこで価値観が明確に変化したのだと思うのですよね。どういう風にしたら満足できるかっていう価値観が。

 ブランド品を持ってて人から羨ましいと思われる事は減って、プチプラかつシンプルなノーブランド的なので良い、ワークマンので良いってなってる。

 旅行に行って珍しい体験をしたとしても、YouTubeで既に似たようなのが山ほど出てくる。

 音楽も文もあらゆる作品はどこかで見たようなものばかりで、およそエンタメは類似品がこれでもかと消費されるのを待っている。dアニメストアで4,200作品以上見れるっていうけど見切れないから。


 以前はそれらを手に入れて経験する事、「知ってる」事には希少価値があり、自己形成の一手法だったので求められた。

 今ではお金を稼いでブランド品を身につけて良い見た目と良い人間関係と全てを手に入れても、以前ほど人から羨ましがられることはない。お金配って注目してもらう人もいるくらいだし。

 人と比べる事で自分を高める時代はだいぶ終わったのだと思う。


 若い世代の聡明な人達において、それらを手にしようとするモチベーションに繋がっていないのは明らか。そんなつまんない競争、だれもやらないわけです。


 代わりに膨大な情報が私たちを覆っている。

 そのブランドが一体どういうものなのか、秘境には一体どんな光景が広がっているのか。あれをやるとどんな感じでどうなるのか。おすすめかやらない方がいいのか。


 美味しい料理という情報はレシピ化されチェーン店で再現されてどこでもそれが提供される。

 自然の森のさえずりもデータとなってYouTubeでいつでもベッドで聞く事ができる。

 YouTuberがあの高級ブランドで買うとどういう感じなのか、バンジージャンプはこんななんだって紹介する。

 それ見て「あーなるほどね、はい理解(わか)った。思ったよりしょぼいな。もう見たからもういいわ」ってなる。


 よく見る「液体に浸かった脳が『良い天気だなあ』と考えている画像」、それに近いところまで来ている。ベッドに机があってスマホかパソコンがあればほぼどうにかなる。

 そういう情報と代替品が増えれば増えるほど「その程度の欲望ならめっちゃ簡単に解消できる」って事で、わざわざ手間をかけて解消のしがいがなくなってますます代替品が求められる。


 そして心に澱が溜まる、と。



 澱っていうかストレス。無意識下で。

 で、憂さ晴らしする。

 ストロングゼロ飲むとか、SNSで見知らぬ人が気に入らないからって攻撃したり。

 暮らし自体はコスパ良く意識高い本読んでるのに、そういうどーでもよすぎる事をしないと気が済まない。


 そしたら「なんでわざわざそんな事すんの?」って人は言うけど自分的には何か好きなんだよなこれって事をやってる方が全然良いと思う。


 チェーン店のバイトが作ったものなんて味は一応整ってるけど普段料理全然しない人の味がするし、それなら別に何の変哲もないメニューだけど普段からずっと料理してきたおばちゃんが作った免許センターのらーめんの方が100倍うめえし、わざわざそこまで別に免許更新するわけでもないのに出向いて食べるなんてバカバカしいにもほどがあるけど、食べログだかで誰だか知らねえやつが付けた評価真に受けて食べに行くより良いと思う。実際行ったら同じようなバカがしたり顔で大した事ねえどうでもいいこじゃれたもんつついでるだけなんだし。


 めちゃくちゃめんどくさいけど山中湖の近くとかまで夜中行って日の出見た方が、インフルエンサーが紹介する画像や動画の1000倍得るものがある。

 必要なのは情報なんじゃなくて体験なのだと思う。

 やっぱ手作りのものの方が美味しい。しかも心のこもった。それを自分の手を動かして、なんなら手づかみで食う。いや喰う、くらいの。


 体験ってのは心の深い所に光を照らす。照らさないと澱が苔むして腐る。抽象的な言い方になってしまうけどそんな風に思うわけです。

 ていうか自分の目と耳でやった方が良いってのは百聞は一見に如かずとか大昔から言われてて「なんだそんな事か」って感じだけど、ガチでそうだよね、ってまとめると一言で終わってしまう事でございました..

 ていうか、自分ここまで書いてて途中まではすごい重要な事に気づいたって思ってたけどまさかよく聞くことわざ一フレーズに集約されるとはって感じですが..

 無理やり私なりにアップデートするなら「ネットはどうでもいい事に如かず」かな?なんか全然伝わらない..「ネットばっかしないで免許センターのラーメン食べてみ」とか?ちがう..伝わらない..




みんなでめちゃめちゃ相談に乗ってみる

 みんなで色んな意見を出せばどれかは解決の糸口をつかむきっかけになるんじゃね!?って事で、今回は2件に12人でのってみました。

  お寄せいただいた皆様、ご協力いただいたみなみなさま、誠にありマ!


1.

あなたとならヨーロッパの火薬庫に火を点けるのも怖くないわと思えるような恋がしたい(エリザベ酢さんより)


鳩サブレーさん:

  私もずっと恋がしたい…とは思っているものの、最近は恋って人生に必要はないかもしれないなとも思っています。しかし、中原めいこの『FANTASY』には「恋はプリズムのファンタジー」という歌詞があったり、大学では教授が恋をしたことがない人は可哀想だと思うと仰っていたりして、恋は素晴らしいものである…と考えている人はやはり結構いる気がします。となると、恋って嗜好品みたいなものなのかなとも思ってきました。

 成り行きで…みたいな恋はしたくない。せっかくならヨーロッパの火薬庫に火をつけるのも怖くないわと思える相手と情熱的な恋をしてみたいですね……。なんか私の考えをつらつらと述べてしまってすみません。

 エリザベさんが、ヨーロッパの火薬庫に火を点けるのも怖くないわと思えるような相手と然るべきタイミングで巡り逢えるよう祈っております…!


ゆりさん:

 なんて、ロマンチックな相談〜私もそんな恋がしたいです。

 残念だけどそんな経験をしたことがなかったので、私的に観ると近い感情になるんじゃないかな?って思う映画を紹介します。

 「ペネロピ」

  現代のファンタジー映画で、ロマンチック要素たくさんなのでよかったら観てね。


キタムラリョウスケさん:

 よくインターネットでバカに絡まれている方ですよね。はじめまして。

 ご相談としてはお答えのしようがないので、これを読んだ自分の感想を書いていきます。


 “あなたとならヨーロッパの火薬庫に火を点けるのも怖くないわ”って言いかえると“一緒に世界をめちゃくちゃにしよう”ってことですよね。

 最も親密な関係性は共犯者だとどっかで聞いたこともありますし、自分は特に思春期を引きずっているような大人なので刺さりましたね。

 まあ言うてそれぞれに生活があるのでそう簡単に無茶ができないのが現実なのですが……。だからこそ“したい”なのでしょうが。


 ただ、これまで歴史上で起きたいろんな事件も若者二人の“火、付けちゃおっかな?”みたいなテンションで行われていたのかも、と夢想するとちょっとさわやかな気分になりますね。


スピノサウルスさん:

 ヨーロッパの火薬庫に火、付けたいですよね…。世界を敵に回しても良いと思えるような人と出会うことなんて、この先あるんだろうか…??なんて思っています。

 質問文の美しさからも伺えますが、質問者様はもうすでに自分の中であるべき世界観ができあがっていて、登場人物が足りない状況…なのではないでしょうか。優しい人には優しい人が寄ってくるように(例外あり)、質問者様もその感性を持ち続ければ、自然に波長が合う人が現れる、もしくは誰かが質問者様の魅力に気づくのでは…と思います。オカルトっぽいけどこういう引き寄せの法則に任せるしか思いつきません!蛇足ですが、私は質問者様のことをいつも素敵だなぁと思っています。


倫理にゃんさん: 

 この相談事を読んだ時、このような恋がしたいお相手がエリザベ酢様には既にいらっしゃるのかなと思い、とても羨ましいなあと思ったのが第一印象です。

 「ヨーロッパの火薬庫に火をつける」という部分から、スリリングで情熱的な恋がしたいのかなと勝手ながら想像させて頂きました。また、そう思うということは日常に刺激が欲しいのかなとも感じました。勝手に妄想が膨らんでしまい、すみません…違ったら更にすみません…。

 もし、わたしがそのような恋がしたかったらお相手に自分の感情をむき出しにして…というかお相手に体当たりで恋をするかなと思います。

 これ言ったら嫌われちゃうかな…とか、飽きられたらどうしよう…とか思うタイプなのでわたしもこんな恋がしたいなと素直に思います。

 何の解決にもなっていなくてごめんなさい! エリザベ酢さんが素敵な恋ができますように!!!


民間療法さん: 

 すてきですね…無敵ですね…

 そう思える人って、どういう条件をクリアしていればいいんですかね。人によるとは思いますが、相当なゾッコンでないとダメですよね。

 私もそう思えるような恋をしたいと思いましたが、そう思えるような相手とはどこで出会えるのだろう、そしてどんなタイミングでこの人なら…と思えるのだろうかと色々考えてしまいました。

 (ただの感想になってしまってごめんなさい)


ラミュさん: 

 色々と考えたのですが、今はあまり恋について考えずに生きた方がよいのではないでしょうか。恋は、特に身を滅ぼしてもよいと思えるほどの恋は、狙ってできるようなものではないと思います。もしこの先、恋の気配を感じることがあれば、その時は人目を気にせず、その場の気持ちだけで行動してください。もれなく無茶苦茶になるでしょう。


丸橋さん:

 子供の頃は現実に手が届かないことなど全く気にしてなくて、思い浮かべるだけで心臓が永遠に燃え続けそうに感じる、夢なのか恋なのかよくわからないことを感じることがあった。今でも時々ふとした拍子にその感じを思い出すことがあって、突然ハイになる。自分の底の方にまだ大きな川のように流れているんだと気づいた。

 現実はいろんな人の現実が混じって混沌としているので自分の理想通りにはいかないけど、それを知ってしまった後でも虚構や妄想の世界でやっていくことはできる。虚構や妄想は現実ではないから全部嘘だと思っていたけどよくよく考えてみれば現実にいる誰かの夢や恋が反映されているのだから、現実には結構近いんだな、と最近わかってきた。

 それにしてもやはりこれは現実ではないと思ってしまう瞬間はあるわけで、無視してやり過ごすことができないわけではないけど白けてしまう。現金すぎる。だから誰と恋をするのが一番良いかということを考え続けてようやく閃いた相手は自分だった。自分なら少し気に入らないところがあったら変えるように努力すればいいし赦せるなら赦してもいい。自分も一個の他人という見方はできるしどこに行くのも一緒だし恋に性は必要ないと思うし。


ロロイ:

 そういう恋を「したい」というのは願望である希望である事はわかりますが、「そういう恋」の方はとにかくロマンティックで情熱的な感じだけど同時に抽象的なニュアンスですよね。

 現実ってのはもっと具体的かつ数字的なものじゃないですか。それは愛だって例外じゃなくて、実体はドライな駆け引きなわけです。

 どっか旅行行きたいなと思って旅行代理店に行って「どんな旅にしたいですか?」ってまあ聞かれるとしても「ご予算は?」とかそういう話にもなるわけで。


 あとイメージが物語終盤すぎる。「あなたとなら..」とその相手に伝える場面ってどう考えても出会ってそういう気持ちを抱いてあれこれあって、そして「それでも添い遂げるんだ」って決意を伝える時に出てくるセリフじゃないですか。じゃあその序盤というか出会いはどんな感じなんでしょうかね第一話のイメージも必要ですよね。


 また「したい」のと「する」ってのは別ものでして。シチュエーションとか運命とかの前に、本人がロマンティックな人かどうかってのがその分かれ目になる。


 ロマンティックな人かそうでないか。

 もしそうな場合、大胆な人か身を任せる人か。

 身を任せるとなると、占い、祈り、天使のご加護とかで何とかする事になるわけですが、イメージだと「火を点けるのも怖くない」とあるので大胆な人という事になる。

 大胆な場合、例えば愛する人と全てを投げ出して逃避行の末に追手に追いつかれて滝つぼにえいやと身を投げれるかどうかという事になる。

 そして九死に一生を得てこそ晴れてロマンティックな運命を手にする者と言えるわけで、そうでない場合は大人しく身の程を知って投降するかあるいは、という事になる。


 かようにロマンティックで大胆であるというのはリスキーなのであって、「持っている」人であってこそという条件つきの処遇なわけです。

 持っている、というのは物語が進んでいく流れの中でそうなっていく場合もあるし、「そう在りたい」という志しの元、そうなっていったり色々なわけですが、とにかくまず気合が入っててなおかつある種偶然的な要素が含まれるわけじゃないですか。


 人によっては「そんな運任せはいやだ」という事で現実的な方に行って、それはそれで地道に可能な範囲で家庭を持ったり安定して進めていって、長期的な目で見るとそれはそれでロマンティックな所業とも言えますが、とにかく保守というか堅実というか、そういう道にいくわけです。

 そうじゃなくて「ド派手にロマンティックがいいんだ」って事ならやっぱり、滝つぼに飛び込んでも生還できるかどうか、というのはもはやこれまでのご自身のあれこれに基づく「自分ならいけるっしょ」感に因るので私が一概に申し上げるわけにはいきませんが、もしその自信があるのであれば大船に乗った気持ちで悠然と次々と迫りくる現実をさばいていけば、流れの中である時その鍵が遠くから光り輝いて自分の元に向かってくるのが見えるはずで、それをそのまま定められていたかのようなタイミングでしっかりとキャッチすればよい、という事になります。


 その自信のほどによってその鍵の光度が変わるはずで、ただ漠然とぼやっとただただロマンティックを求めているだけじゃあ鍵は濁流にまみれて通り過ぎたことすら気づかず物語の扉は開かないまま朽ちるのみ。

 それがいやなら目の前の一つひとつのブロックや木々を選別する事で着実に自分の足元や住処を積み上げていくという作業によって土くれで出来た地味な家ですが暖かな灯かりをともす事も雨風をしのぐ事もできるわけじゃないですか。


 とここまで、ロマンティックかそうじゃないかっていう、ロマンティックを軸にした話をしましたが、何も世の中にその2種類しかないというわけではありません。

 音楽もクラシック音楽以外にいろんなジャンルがあって、本も映画もなんでもそう。

 野球でもストライクゾーンしか振りませんっていうんじゃなくてちょっと外れたボールでもバットを振ってみるのも全然アリで、もしかしたらそっちの方がホームランになるかもしれない。

 上述で偶然性がどうのと言いましたが、逆に偶然性に賭けてみるくらい柔軟でもいいんじゃないかと思います。それに理想を追求するのも悪くないですが、理想通りのようにはなかなかいかないじゃないですか。

 色々試食しまくってみて味覚をアップデートしたら、当初思い描いてたスペシャルな料理ってのは実は存在しないんだって気づくかもしれません。

 そしてなんの変哲もないよくあるシンプルな料理が一番ほっとする、なんてオチもあるかもしれません。



(^▽^)     



2.

 わたしは休日をいつも無駄に過ごしてしまいます。

 何かしなきゃとは思うものの、寝ていたりYouTubeをみたりそういうダラダラすることへの引力にほぼいつも負けてしまいます。 時には思いっきり寝てダラダラする行為が最高!大好き!とも思うのですが、死ぬ時にダラダラしかしてない人生だったなって思う人生ってどうなんだろうとか思ったり、周りの人は活動的に色々してるのに...と劣等感を持ってしまったりします。

 人から誘われたら遊びに行ったり、体動かすとかアクティブなこともできるのですが、なかなか自分からは動けません。また人から誘われたとしてもぎちぎちに予定が詰まってしまうとかなりしんどくなってしまいます。

 時間の過ごし方について、特に休日の時間をどういう風にしていこう、みたいなものってありますか?またついついダラダラしちゃう時にこんな対策をしています、みたいなのもあったら教えて欲しいです。


鳩サブレーさん:

  ミチミチに予定を詰めてしまうと気が滅入ってしまうので、私は「とりあえず外には出る」とか、「とりあえず洗濯だけはやる」とか、とりあえずこれだけやるか…みたいなのをうっすら決めておくことが多いです。そのうちにあれもこれもやっておきたいな!と勢いがついてくるので、その流れに身を任せるといいかもしれません。あと、早起きすると、「よ〜し❣️良い一日にするぞ〜❣️」と思える気がします。


ゆりさん:

 すごい分かります!私も休みの日はかなりダラダラ率が高いです…。ダラダラするの、楽しいな〜って思うときもあれば、何もしてない自分に対して焦っちゃうこともありますよね。

 わたしは、予定がない日は一つでもいつもと違う事をする事を意識してます。例えばいつもと違うスーパーやコンビニに行く、今まで作ったことのない料理をしてみる、見たことのない映画をみる、普段読まないタイプの本を読むなどをやって、手帳にそのやった事をひとこと書いておくと全然大した事をやってなくても、振り返った時になんとなく充実していたような気持ちになるので、おすすめです。


 それすらも嫌で、ダラダラしちゃう時は夜にお風呂に入るのが嫌になっちゃうので、夕方の早い時間にお風呂に入って、スキンケアをちょっといつもより丁寧にしてちょっと自分ちゃんとしてるじゃん!って錯覚させてから、好きなだけダラダラしてます。

 ダラダラしたくないな〜って時は友達とかと電話して、なんとなく刺激を受けるようにしてます。電話じゃなくて、ツイキャスとか何でも良さそう! 私も同じく出かけるのは直前で嫌になっちゃうことが多いので、時間を決めずにできる電話がおすすめかもです。

 同じくダラダラしちゃう人間なので、参考になるか分からないですが、役立てたら嬉しいな!

 良い休日を過ごせますように🌼


キタムラリョウスケさん:

 自分もほっておくと家でダラーっとインターネットを無限に見てしまうので、なるべく何かをするようにしています。

 ダラダラしない対策としては、明確に終わりの期限のある場所に行くことです。

 具体的には、映画とか展覧会とかレストランの限定メニューとかですね。

 こういったものは機会を逃すと一生体験するチャンスを逃してしまうので、否が応でも行動する気になります。

 明確に短期間で期限が決められているもの以外でも、ほぼすべての物事は期限付き(人間はいずれ死ぬので)なので、ボケっとしているとすぐ終わる、ということを意識してはいかがでしょうか。

 このご時世なので行こうと思っていた店が潰れていた、とかありますからね。


スピノサウルスさん:

 あれこれ、自分が無意識のうちに送ったやつかな?ってくらい共感します。私も似たような毎日でやる気が起きないと心細くなってしまいます。

 最近疲労について考えていたのですが、頭か肉体のどちらかが自分の疲労基準に達することで、達成感ややる気が得られるのではないかなと思いました。といっても、仕事にやりがいがあり毎日楽しい!という人は、頭も肉体もバランスよく使っていると思います。 例えばオフィスワークなどのパソコン仕事はあまり動く仕事ではないので、すごく頭を使うと思います(オフィスワークに対する個人のイメージです)。逆に、自分はホテル清掃のバイトをしているのですが、肉体の方がくたくたになるのも普通にきついです。

 どちらも向き不向きはありますが、私は頭と身体の疲労がどちらかに偏っているとかなり辛くなるな~と思います。

 話は戻りますが、おそらくダラダラしていると言っても動画を見ている時点で頭を使っているはずです。世間一般のダラダラすることって、SNSに触れる時点でかなり頭を使っているのではないかなと思いました。身体を動かさないと凝ってしまいますし、リフレッシュできなくなります。なので、早起きしてストレッチして、動画1本見たら軽く運動するなどはいかがでしょうか。


うたさん:

 休日にずっと家にいて夕方~夜になったりすると謎の後悔が生まれますね。なぜかはよくわかりませんが。

 対策としては、仕事の日でも休日でも、とにかく一度シャワーを浴びています。そうしないと昼過ぎまでダラダラ転がっているので、切り替えのスイッチ的なものです。

 歯を磨くでも朝ごはんを食べるでも何でも良いと思いますが、シャワーを浴びればついでに歯を磨くし着替えもするし、もういつでも仕事も出来るし外に遊びにも行けるし、さっぱりした状態でもう一度寝る事も出来ます。 なんかそういうスイッチあったら良いのかなと思います。


 休みの日に人と遊ぶ予定がなければ一人で、Twitterをやる、ゲームをする、漫画を読む、散歩・サイクリングをする、夕方夜には酒を飲むみたいな感じで過ぎていきます。

 退屈な状態が心から物凄く嫌いなんですが、上記のことだけでも十分に楽しいので、二日酔いで動けないという理由以外で「ひどい休日だったな」と思う事はありません。

 ダラダラ寝たりするのが最高に好きであれば、全然良いんじゃないでしょうか。もっと快適にダラダラ出来るような設備とか揃えたりしてみるのもいいでしょうし。

 死ぬまでには色んな事があるでしょうし、自分がダラダラしてた事はあんまり思い出せない気がするので気にしないで大丈夫だと思います。


おはニウムさん:

 わかります。わたしもそうです。活動できるときはできるんだけど、できないときの方が多いみたいな....

 ついついダラダラしちゃうときはトイレ掃除してます。これまた精神論者みたいな感じですみません。ただ、トイレ掃除したあとはなんかベッドにぐだーってあんまりならない気がする。トイレ掃除した後、手洗うときに洗面所もついでに磨いとくか!!ってなるし、鏡が綺麗になったらとりあえず着替えるか!ってなる確率が40%くらいあります。


fさん:

 私は1日中ダラダラしていると焦燥感に苛まれて逆にリラックスできなくなってしまうので、何にもない休日でも1個午前中にやることを作るようにしてます。歯医者に行くとかスニーカー洗うとか本屋まで行くとかなんでもいいんですけど。で、それが終わったら好きにします。とりあえず1個なんかやったぞっていう安心感で結構のんびりできるし、リズムができてこのままどっかに出かけようって気分になることもあります。

 でも、下のphaさんて人の記事にも書かれてるんですけど、こうやって予定を立てて遂行するっていう行動パターンって仕事してるときと同じなんですよね…。だから、記事の中で紹介されてる、あてもなく外に出て、ふらっと電車に乗って自分の精神を遊ばせてみるっていうのを今度やってみたいなーと思ってます。質問者さんもどうですか?

 https://lidea.today/articles/002410


倫理にゃんさん: 

 すごくわかります!わたしは結構人と比べてしまうタイプなので、自分がお家で一日中ゴロゴロしてた時に友達は楽しそうに遊んだり出かけたりしてる投稿とか見ちゃうと心がしんどくなります。

 相談者様は誘われたら動けるタイプのようですので、ちょっと何かきっかけがあれば解決するのかなと感じました!

 わたしは友達がほぼ居ないに等しく、休日何か予定を作るというのが難しいので、平日忙しくするようにしています。お仕事とか学校とか資格の勉強とか…。もっと小さいことでもいいと思います!

 休日は変えられないから平日の方を変えちゃえ!って感じです!

 平日の充実度が上がれば、休日をダラダラ過ごす自分を許せるようになるのかなと思っています。

 また、ついダラダラしちゃうはもう仕方がないと思って割り切っています。わたしはエンジンかかるのが遅い方だから、とか、やる気スイッチ入ったらマジでやるからなとか色々言い訳しちゃいます。自分に。

 少しでも心穏やかに過ごすことを最優先したいと思ってしまう故ですね…。

 あまりちゃんとした解決にならず、すみません…。

 相談者様が良き休日を過ごせますように!


民間療法さん: 

 私も同じことで悩んでいて、今どうにかして自分を変えたいと思い、色々試しています。本当にぐーたらすることが大好きなのですが、まじでこのままではやばいなと感じているので…

 今やっているのは、寝る前に明日の計画を立てる→朝起きたら起きたよ!という報告をする(特定の人でもTwitterでもいいと思います)→スケジュール通りに過ごしてみる(本当にがっちり取り組みたかったらいちいちこれをしましたって報告するのもありだと思います)→寝る前に昨日立てた計画を赤ペンで振り返る(これはできた、これができなかった、だから次はこうしたい等)→明日の計画を立てる→振り返りと明日の計画を報告する…

 といった感じの繰り返しです。実際私はというと、最近だらけてきてこの計画通り行かなくなってきました。また気を引き締めたいと思います。起きたよ!って報告した後に二度寝することもありますし(最悪だな)、計画にはないのにYouTubeを見て1日終わってしまう日もあります。それによってうわ~!ダメな過ごし方した!!とならないようにルールを設けようかなとも思い始めました。1日の中に何をしてもいい時間を設ける(学校の休み時間みたいに)、○週間に○回何をしてもいい日を作る、○曜日は〇〇デーみたいなのを決める等々…もっといいのがあったら教えていただきたいです。

 こういう風にルールで自分を縛っていかないと私は何もできないです。縛られてもすり抜けてだらけますし…私と一緒にしてしまって申し訳ないですが、共に頑張りましょう…!


ラミュさん: 

 私も相談者さんと同じような悩みを持っています。

 知り合いに休日はガンガン遊ぶタイプの人がいて、話をしたことがあるのですが、遊ぶことへのモチベーションと体力が自分と違いすぎて驚愕しました。それからは自分と人を比べずに、別のタイプの人間だな〜って割り切って考えるようにしています。

 休日は何もせずのんびり休みたい、遊ぶことにストレスを感じる、という人もかなりの割合で存在しているように思います。体と心を休めるのはとてもいいことです。相談者さんにとって、その休息は必要な休息なんだと思います。

 相談者さんは人に誘われたら元気に遊べるし、しんどくなる理由もご自身でわかっていてバランスが取れているのでは?自分が遊びに出たくなるタイミングをじっくり待ってもいいような気がします。

 ダラダラ対策については、私の場合は基本的に諦めてダラダラを味わう方針です。

 無心で身支度を整えてなんとか出かけることもありますが、私はかなりのストレスを感じます。

 気が長い話ですが、食生活を改善したり運動をすることで、体力がついてアクティブに動けるようになるかもしれません。ダラダラ人間にとって自主的な運動の継続は難しいかもしれませんが…私はサイクリングが気楽で自分に合っていました。


丸橋さん:

 ダラダラできるのいいですね。私はもうそういうことできる時間がかなり限られています。家事とか育児とかあるので。若いころ数年間ダラダラしていた時期はありますが、本当に最高でしたね。ずっと寝ていました。その時期のことを後悔しているかと言われれば正直後悔していますけど、もう一度やり直しても多分同じようにダラダラするとは思います。最高ですからね。ダラダラするために生きていると言っても過言ではないのではないでしょうか。なんで何かやらなきゃいけないと思わされるんだろう。

 でもダラダラしつくして流石に飽きたなーって言う時になんとなく自分で描いた絵とか自分で作った音楽は今も好きです。回答になってないような気がします。ダラダラして後悔するのが嫌だからその対策ということですがこういう風になりたいっていう自己像みたいなのがあればいいのではないかと思います。今の自分と目標の自分に差があれば焦ってダラダラするどころじゃないので。


ロロイ:

 暇なのですよね。だけど生活の質は高めたいと。無為に過ごしたくないと。それって目標が無いからだと思うんですよね。何かの試験に受かりたいよんとかだと、それに向けて何をやるのか、どうやるのかって考えるとぼやぼやしてられぬってなる。

 ただ目標って何か「ポジティブに生きてます!」って感じでいやですよね。なんでいやかっていうと嘘くさいから。ほんとはだらだらラクしたいのに~ってのにガワだけそんなん演じるとかかったるすぎる。


 なので目標っていうか何かしら「実現せねばならない何か」っていう必要性に迫られればおのずとぼやぼやしないわけです。

 目の前で自分でおしめも替えられない赤ん坊が泣いてたらYouTube見てる場合じゃないわけじゃないですか。

 つまり「誰かのため」ってのが一番ダイレクトに動かざるを得ないです。

 自分のためだとね、ちょっと「やっぱやーめっぴ」ってなるから。異性にモテるために丁寧な生活しようったって根がズボラだったらそんなん絵に描いた餅になるのが関の山。


 そして今そういう「誰かのために何か実現せねば」って状況にいないってのはもしかしたら恵まれているのかもしれない。

 昔だったら、自分は貰われてきた子だけど、そんな自分も子どもだと思って育ててくれた両親がやっと授かった実の子を何とか学校にやるために家計が苦しいので自分は進学をあきらめて夜の街で弟の学費を稼いであげる、みたいな人が普通にいたわけじゃないですか。

 しかもオヤジは飲む打つ買うで早々に世を去って、優しい母も無理がたたって倒れるみたいな。自分がやるしかねえっていう。んで弟はねえちゃんありがとうって頑張って無事に大学に行けてやれめでたいとなったと前後して自分は不治の病にたおれてまうっていう。これYouTube見てる場合じゃない完全に。


 が、幸いな事に今現在そんな風ではないし、それは良い事なのだし、因果関係としてあなたがどういうって事ではないので「だらだらするのが悪い」と言いたいだけじゃありません。そんくらいだとおのずとやる事になるよねって話です。

 という事で誰かの役に立ってみようとしてみて下さい。誰もいないのなら社会のためでもいい。社会は個の集合体で、あなたが誰かのためを思ってやった事はきっと助けが必要な人に回り回って届いて「誰か知らないけどありがとう」って思ってもらえる。

 何から手をつけていいのか分からないというのなら、情報が足りてないから調べてみてください。YouTubeを見れるデバイスで出来ます。


 そんな壮大な事は嫌ザンスって事ならとりあえず想定するのでもいい。

 いつかオヤジさんが倒れたらどうする。いつかお母さんが歩けなくなったらどうする。ちょっと先の事かもしれないけど子どもが出来たらどうやってモノを教えるのか。なんで面白半分に花をちぎって遊んだらいけないの?と聞かれたらどう答えますか。おれ学校なんかいかねーからって朝からふんぞり返ってナメた口きいたらどうします。

 その時、理屈は答えられるとしてもあなたが人として尊敬できない感じだったら「何を偉そうに」って聞く耳もってもらえないはず。 


(^▽^)     


以上でつ!

 私めっちゃ長文でだらだら回答してしまって、偉そうに冗長なものいいしおってって感じですがそこは何とか特別に見逃していただけたらハッピーでございます。


このコーナー、随時相談事を募集しておりますのでよかったら私の質問箱まで「ロロ通あて」と明記の上お寄せいただければ幸いで御座います。

ロロイの質問箱





詩のコーナー


「オレンジピールの雨」 / うさき


地中海ではオリーブの実がなっている

君の透明な冠は

息をひそめて

永遠をうたってる

誰の耳も通過せずに

タクシーがクラクションを

鳴らして

蜘蛛の巣をめぐらせた


方位磁針の針でワクチンが打てるなら

ランゲルハンス島にあるという

銭湯にも行ってみたいもの

サボテンの花の

散る様を

見て

みたい




連続短編小説「昭一郎の不条理な日々」


第二話「続・レンタル彼女」


(第一話はこちら


「こちら温めますか?」

 昭一郎はコンビニバイトなんてしてる場合じゃないのに、と焦燥していた(でも仕事は仕事。ちゃんとやらなきゃ、とも思っていたが)。話はこないだのセンパイとの会話に遡る。。

*

 「結局センパイ的にはレンタル彼女はアリなんですか、ナシなんですか」

 パイセンは昭一郎にレンタル彼女の良さを語ったと思ったらその危うさも説いてきたりするので昭一郎はもうどうしていいか分からなかった。


「アリと言えばアリ。逆もまた然りさ」

 センパイこと田尻はコーヒーをすすってカチャリとコーヒーカップに慎重に置く。昼下がりの人もまばらな喫茶店は良い具合の室温だった。

 田尻はコロコロコミックを読みながら言う。


「いくらリアルの恋愛が良いといってもこっぴどく振り回されて振られてしまうかもしれないわけじゃないか。でもレンタル彼女はそれはない。お前自分がうまく恋愛できる自信は?」 


「ありません。そもそも好きになってもらえるかも..そう考えると自分が相手を好いているという事を伝えて『その想いはいりません』と言われたらハートが粉々になるのは明らかです」


「じゃあアリだな。レンタル彼女はそんなお前に優しくしてくれる」


「じゃあ予約を入れますのでurlを教えてください」


「優しくしてくれるが別にお前を本当に好きになるわけじゃないぞ。そういう感じ、ってだけだぞ」 


「それはしょうがないですよ..ゲオでDVD借りても返さなきゃいけないのと同じでしょう。そしたらその見た体験を良かった思い出としてメモリーするとしますし」


「ふむ..」

 田尻はこいつなかなか見どころがあるわい、という顔をしているように昭一郎には見えた。

 ついにurlを教えてもらえるやもしれない。

 会員登録やどういう風に予約に進めばいいかも聞けるやもしれない、そう昭一郎が思った瞬間


「ダメだ。お前には絶対に使わせられん。この話は金輪際せん」

と田尻はコロコロコミックから目を離し言い放つ。


「えぇ!?なぜです!?」


「『大好きになっちゃう可能性がある』からよ。お前のハートはいわば白紙なわけだ。あまりにも女性経験が希薄すぎるのでな。そんな白紙にペンキをぶちまけたらどうなる?一生消えないのさ。お前はずっとレンタル彼女最高!って思いから逃れることができないんだ。それを人は不幸と呼ぶ」


「確かに..正直もうまだ見ぬそのレンタル彼女さんと会ってすぐ恋に堕ちて、面会が終わると同時に次回の予約を入れてしまうであろうって思ってました」


「重いんだよそういうの。薄気味悪いと思われてNG客になったらどうなる。お前は一生その人に会えないんだ。他の客が会えるのにな」


「他の客は会えるのに..あんまり気持ち悪くならないようにしますから会ってもらいたいです」

 昭一郎は、おれ本気です、という顔を見せる。


「ダメだ。この変質者が」


「えぇ..」


「それにな、会ってもないのにもう好きって変だろ。お前は『好きになっても拒否されない誰か』が欲しいだけなんだ。女性はお前の願望を満たすためのアイテムじゃない。それにレンタル彼女さんにそんなむき出しの好意をぶつけるのは普通に迷惑だ。怖いし」


「初対面の人からそんな勢いで来られてもですよね..」


「リアルの人に彼女になってもらったとしても、なってほしい気持ちの根っこに『彼女持ちっていうステータスが得たいから』とか『一回とりあえず彼女ができれば、今後一生【自分には彼女がいた事がある】っていう手形が入手できる。これで自分もまともな恋愛経験者になれるんだ』みたいな本人の人格ガン無視の自分都合の思いがあるだろうが」


「ありやす」


「そういう想いを『あくまで恋愛ごっこなんですよ』ってていの相手にぶつけるのはディズニーランドに行ってミッキーと握手してミッキーじゃーねーっていうんじゃなくて、そのミッキーをずっと追いかけて、その着ぐるみを着てる人が休憩しに控室に戻ろうとしてるのに追いかけようとするのと同じ」


「中の人はミッキーじゃないですもんね」


「そう。んでその役の人がミッキーの頭を取って、ふー暑いわ今日!っつってペットボトルごくごくして一服してる所を勝手に覗いて『ミッキーはどこだ!ミッキーの体内に巣くう謎の生物め!!ミッキーの身体から出ていけえ!』って号泣しながら叫んでるのがお前なんだ。普通に退場、出禁、通報コンボ食らって当然の異常者だろ?」

 田尻はコロコロの最後のページの作者の一言ページを丁寧に読みながら言う。


「それがおれなんスね..」


「バイトはクビどころか親に連絡行ってポリスがおめーこれ誰に聞いたんだっつっておれが芋づる式にしょっ引かれるんだ。ポリスオフィスでしょげかえった、泣き腫らした顔のお前が入ってきた俺をみて

『センパイ!!こいつら全員おかしいんですよ!!おれの頭がおかしいって言うんですよ!!』

なんて半狂乱で抱きついてきてみ?完全に匙を投げたがったうんざり顔のポリスが

『君がそそのかしたってえのはまことかね?まったくとんでもない事をしてくれたもんだ』

なんて言ってみ?おれは『本当に申し訳ございませんでした』ってぺこぺこ謝っても

『ミッキー役のバイトの方は昭一郎くんに飛びかかられて引っかかれたんだがその事は不問とすると言っている。君が面倒を見てちゃんと説いてくれるのなら今回は特別にこのまま不起訴としてもやぶさかではない(こんな狂人と関わりたくないから)』

なんて言われてみろよ。あいすみませんっつってぺこぺこぺこぺこ謝って、外に出たらもう真っ暗でよ。そこらの松屋に入って運ばれてきてもお前は手もつけないで『みんなおかしいんだ..』とかぶつぶつ言ってさ。おれいやだよ..そんなの..」


「いやだ..」


「だろ?だからレンタル彼女ってのは禁断の秘儀なんだよ」


と二人して陰鬱な顔をしていると、昭一郎の友達の小宮路(こみやじ)からLINEが入った。


「あのさー市ヶ谷に釣り堀あるやん?おれ行った事ないんだけどお前行った事ある?行きたくないw?」


「センパイこみやんがこんな事言ってるんですが、行った事あります?おれはないんですが」


「おれもないけどなにそれ急に行きたくなってきたw。こみやんに来週行く?って聞いてよ」


 かくして3人で釣り堀に行く事になったのだが、昭一郎はまだレンタル彼女の事で頭がいっぱいだったのだった。

 そして薄っすら「釣り堀でたまたま隣になった子と知り合ってデートする事になったらどないしよ..!」と無駄にうきうきし始めるのだった。 

<続>


 次回、「こみやんの秘策!?」の巻  



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Le Ravissement de Frank N. Stein

by Georges Schwizgebel, 1982


ジョルジュ・シュヴィツゲベルというスイスの作家さん。

タイトルは「フランケンシュタインの恍惚」。


全体的に夢っぽくて、幻覚っていうよりやっぱり掴みどころのない薄っすら不安感を抱く夢。

まだ明るい感じを含む作品もあるんだけど、私はこの鬱蒼とした不気味な感じのが好き。

不気味なんだけど、ループしまくるから何かもう不気味と感じる感覚すら超越する感じがある。


経歴を見ると中国(インドにも?)にいた事があるとかってのは何か分かる気がしないでもない(群衆の感じとか)。

人がめっちゃいる、しかも異国の情景っていうのは夢っぽすぎたと思う。

違う文化圏だから何考えてるか分からん、でも同じ人間が山ほどよく分からないけど蠢いてるなかにポツンといる感じ。

現実感がなく、きっと足元がふわふわしてた事と思う、この短編を目にする私たちと同じ様に。





ことば紀行


「クレメンティア(寛容)」

 フォローさせていただいているMey Linさんのプロフィール文で知った言葉。

 ラテン語で「寛容」という意味らしい。

 調べてみたら塩野七生さんの「ローマ人の物語」にそういう事が書いてあるらしい。

 この本、去年の前くらいからローマとかギリシャとか何かしらんがええな..って思い始めてどうやらそれを知るに最適な書物らしいという事で買ったけど最初の数十ページで「濃(こ)!」ってなって手が止まっている。こんな形でこの本に戻ってくるとは..


 ローマが帝国を築いた根底にある精神らしい。

 それなら分かる。序盤辺りから「なんでローマがデカくなったかというと、隣国に勝っても『今のままでええで』ってしてたから」みたいに書いてあった。

 ちなみにどんだけローマがすごかったかというと、1200年くらい治めたらしい。しかも紀元前から。あの辺りっていっつもいざこざが絶えないっつーのに。


 どうやら人類の普遍的な何かに関係するノリのようだ。

 無理やり自分色に染めようとしても色んなエリアにそれぞれ歴史とか信仰するものとかノリがあって、無理強いされたら反発されたりってのはあるだろうし、だからだと思う。共存共栄。急がば回れ。

 ググりまくってもとにかくこの精神性を褒める言葉が並ぶ。

 ふと思う。じゃあなんでローマ滅びたん?


 と、その前に、クレメンティアと聞くと「~してクレメンス」ってネット用語を想起するじゃないですか。

 これってロジャー・クレメンスって元プロ野球選手からきてる「なんJ」発祥のものなわけですが、クレメンス自体はアルファベットだと「Clemens」。ヨーロッパ系の男性名らしい。ラテン語系の。

 なんならローマ教皇でクレメンス1世とかいるし。つーか「クレメンス14世」までいるのはちょっと草。

 作家マーク・トウェインの本名は「サミュエル・クレメンス」だし。

 イタリア語だと「クレメンティ」。

 ってちょっと待って、もうほぼクレメンティアやん。

 clementia 語源、でググるとweblioってのに、

 clemens + ia

 とある。つまり「クレメンス的な」って事っぽい。

 クレメンス的な、ってなんかうける。

 なんかそういう「あんまり争ってもいいことないし、みんなで楽しくやろうや」って事かもしれない気がしてきた。

 ローマいいやん。

 でもなんで滅びたんだろ。もしかしたら滅びたんじゃなくてリニューアルした、みたいな事なのかもしれない。そりゃ1200年も続いたらそろそろ別のにしようやってなりそうだし。


 でもとにかくクレメンティアって言葉は人々は捨てずに今私のところまで伝わってきたので良い言葉なのは間違いないと思う。


 最後に私が好きなローマ系の一文↓

 ""ローマ帝国を築いたカエサルは、極めて絶望的な状況においても楽観的で機嫌の良さを失わなかった"" 




アンケートコ~ナ~

 ご協力いただきました皆様誠にマ!  


Q:「2011年と2021年どっち好き?」(回答数23)


 2011年  5票

 2021年 18票


 私は2021年に一票なんだけど2011年派の方の理由めっちゃ気になる。




編集後記

 冒頭で2011年なんてつまんねー今の方が良い、なんて言いましたがクレメンティア的な良い考え方は時を超えるってのが分かったし過去も捨てたものじゃない。百聞は一見に如かずとかのことわざも得るものがあるし。

 ただやっぱり組み合わせというか、2011年を知ってるからこそ2021年の良さが分かるというか、ことわざだって自分であれこれ考えなかったらその言葉のいわんとする事が理解できなかったと思う。

 そうなると、どんなにうざい体験でも何かを理解する時に役立つかもしれない。

 逆にいきなり恵まれてたらどんなに恵まれてるのか分からないかもだし。

 寛容たれって言葉もきっと前に諍い事とかがめっちゃあったから「こういうのだりーしもうやめようや」って生まれたんだと思う。


 以上、ロロ通22でした!なんでローマが滅びたのか調べてみたいと思います。私が滅びる前に..

 では、アデュー♪



Special Thanks to

ロロ通ロゴ・イラストレーション 花山理香さん

詩 うさきさん


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